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著者プロフィール 横須賀の海軍工廠に勤務する中で、『萬朝報』紙に堺利彦と幸徳秋水が共同で書いた反戦詩・退社の辞に感動して労働運動に参加。秋水と堺が発行する週刊『平民新聞』の非戦論に共鳴し、社会主義に接近する。 その後、寒村は堺の世話で和歌山県の牟婁新報での新聞記者を経て1904年、平民新聞の編集に参画。同紙で同僚だった6歳年上の管野スガと内縁を結び、1907年に結婚した。このころ、社会主義伝道行商に参加して田中正造を知り、足尾鉱毒事件を素材に処女作『谷中村滅亡史』を著述している。 1908年に赤旗事件で検挙される。裁判で有罪となり、重禁錮[3]1年の刑を受けた。入獄中に妻のスガが秋水と不倫関係となり、秋水は千代子と離婚する。スガも一方的に離縁状を送りつけて獄中の荒畑と離婚した。このことに寒村は激怒し、2年後に出獄するとピストルを入手してスガを射殺しようとするが果たせず、代わりに桂太郎首相の暗殺を企てたといわれるが、いずれも実行できなかった。一方、スガの内縁の夫となった秋水とも疎遠になったことで、寒村は結果的にその後の幸徳事件(大逆事件)での検挙・処刑を免れた。なお、この件で秋水とスガは仲間内からも白眼視されており、寒村の他にも疎遠となった結果として連座を免れた者は多い。 寒村は出獄後、堺が設立した売文社に参加し、山川均・高畠素之らと地道に体制の立直しをはかり、1912年には大杉栄と『近代思想』を創刊、さらに月刊『平民新聞』を発行した。しかし、サンディカリズムを唱えた大杉とマルクス主義に立脚する寒村との対立が次第に表面化。大杉と訣別して後は労働組合活動を続けながら、関西で活動。1920年に日本社会主義同盟・1922年に日本共産党(第一次共産党)の創立にそれぞれ参加する。 中央公論社・昭和48年(1973年)8月初版発行の荒畑寒村「平民社時代 日本社会主義運動の揺籃」函付きです。本体表紙はクロス装、題箋は著者です。函にヤケが少しありますが、本体にはシミや書き込み、蔵書印などはありません。 51年前の古書であることをご理解の上、購入の検討をお願いいたします。 ※荒畑寒村の以下の作品も出品しています。 反体制を生きて 寒村茶話
2 months ago
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