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京阪神エルマガジン社のミーツリージョナルの,阪神淡路大震災に関連した, ●震災の年である1995年の全巻12冊 ●翌年・翌々年の全巻24冊, ●震災復興後の神戸特集である1998年1月号 です。 つらい記憶ではありますが,30年が経過し,被災された皆様も,そろそろ冷静に振り返ることができるのではないでしょうか。 震災後に産まれた方が,当時の街の様子を知るにも良い資料と思います。 個人で読んだだけですので,多少焼けがありますが,状態は古さ相応の普通の程度です。 冊数が多くなりますが,震災の資料として散逸させたくないことを御理解頂ける方に,是非お願い申し上げます。 内容梗概: 各月1か月前に発売(例えば,1995年1月号は1994年12月に発売)されております。 また,発売の1か月前に編集作業が行われると考えられます。 このような背景からか,震災は1995年1月でしたが,お見舞いのメッセージは1995年3月号の目次の下に掲載されています。 1995年4・5・6月号では,“被災地からの便り”という状況報告がされています。 そこでは,近隣自治体やマスコミの“他人事感”を,雑誌ならではのカジュアルな文体で痛烈に批判しています。 そして,ついに1995年9月号で神戸の特集が組まれます。 ということは,2か月前の7月頃には取材できる程度に街が動き始めていたわけで,復興の早さに圧倒されます。 当初,大手メディアで復興に10年かかると言われていたので,自分の街の力強さが誇らしく思えたものでした。 時は流れ,3年後の1998年1月号では,見事に復興を果たした街の特集が組まれました。 自己紹介: 神戸で生まれ育った還暦です。 東灘の親類は全壊でしたが,須磨の実家は半壊で済みました。 幸い,親類縁者に震災による怪我や健康被害はありませんでした。 自分自身は当時西明石駅付近のマンションに住んでいました。 自宅は家具が倒れる程度で,電気や水道もほどなく回復していました。 震災直後から西明石以西は山陽本線が運転しており,家の中がめちゃくちゃなまま,姫路まで通勤していました。 Meets Regionalは姫路の本屋で普通に買えました。 創刊当時からのファンだったものの,街が壊滅状態で遊びに行くあてもなく情報誌を買い続ける心理状態はどうだったのか,全く覚えていません。
1 day ago